福島県の郷愁を誘う石畳のある風景

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温泉神社
温泉神社
場 所 ・福島県いわき市常磐湯本町三凾
種 別 ・参道
備 考 温泉神社はいわき湯本温泉の守護神で延喜式神名帳に式内社として記載された格式の高い神社です。温泉街に面して鳥居があり、石畳みの参道が拝殿まで導いてくれます。中心は前方に向かって縦長に敷く「短冊」形式。

飯野八幡宮
飯野八幡宮
場 所 ・福島県いわき市平八幡小路
種 別 ・参道
備 考 飯野八幡宮は平安時代後期から鎌倉時代初頭に石清水八幡宮から御霊を開創されたと伝わる神社です。好嶋荘の総社として歴代領主やから庇護され、江戸時代初期に鳥居忠政が磐城平城を築いた際に現在地に遷座しました。飯野八幡宮は鳥居、神橋、随身門、神門、拝殿、本殿と一直線上に配置されていますが、石畳みは直線性を意識させないモザイク模様のような「乱張り」形式を採用しています。

田村神社
田村神社
場 所 ・福島県郡山市田村町山中字本郷
種 別 ・参道
備 考 田村神社は大同年間に坂上田村麻呂が開創されたと伝わる神社です。中世は坂上田村麻呂の後裔を自称する田村家、江戸時代には幕府や二本松藩主、守山藩主が庇護しています。石畳みは長床の床面が正方形の石材を、斜め45度に回転させて並べていく「四半敷き」形式、長床から拝殿は前方に向かって縦長に敷く「短冊」形式が採用されています。

鹿島神社
鹿島神社
場 所 ・福島県白河市大鹿島
種 別 ・参道
備 考 鹿島神社は宝亀年間に開創されたと伝わる神社で、弘仁2年に坂上田村麻呂が改めて鹿島神宮から御霊を勧請しています。その後は白河地方の総鎮守として歴代領主からも崇敬されています。石畳みは中央部が前方に向かって縦長に敷く「短冊」形式で、その両側は砂利で構成されています。参道沿いに複数の石燈籠と杉並木があり歴史の重さを感じさせてくれます。特に石造の神橋は反りの大きい太鼓橋形式で印象的な景観を造り出しています。

白河神社
白河神社
場 所 ・福島県白河市大字旗宿字関の森
種 別 ・参道
備 考 白河神社は成務天皇5年に白河国造の御霊である鹽伊乃自直命の御霊を勧請し開創されたと伝わる神社です。隣地には白河の関の跡地とされる土塁や空堀が残されおり特別史跡名勝天然記念物に指定されています。参道の両側には杉の大木と朽ちかけた石燈籠が歴史の深さが感じられます。一方、境内正面は近年整備されたのか広々と明るい印象があり、前段と後段で半分ずらして敷くことを「馬踏み」形式の石畳みが採用されています。

相馬中村神社
相馬中村神社
場 所 ・福島県相馬市中村字北町
種 別 ・参道
備 考 相馬中村神社は承平年間に平将門が開創したと伝わる神社です。その後、将門の後裔を自称する相馬家が奉斎し、元亨3年に相馬重胤が本拠地を鎌倉下総の国流山から行方郡に遷した際に遷座しました。さらに、慶長16年に相馬利胤が小高城から中村城に本城を遷すと城内に御霊が勧請され改めて妙見宮を開創しています。明治維新後に中村城は廃城になりましたが、妙見宮は存続し相馬中村神社に社号を改めています。参道は前方に向かって縦長に敷く「短冊」形式の石畳みで両側には奉納者の名前が刻まれた石造玉垣が設けられ印象的な景観となっています。

八槻都々古別神社
八槻都々古別神社
場 所 ・福島県東白川郡棚倉町八槻大宮
種 別 ・参道
備 考 八槻都々古別神社は景行天皇の御代に日本武尊が開創したと伝わる神社です。諸説あるものの延喜式神名帳に名神大社として記載され、陸奥国一宮の格式を得たのは当社の事とされます。石畳みは鳥居、随身門、拝殿まで粗一直線で前方に向かって縦長に敷く「短冊」形式が採用され5列で構成されています。参道は石燈籠と狛犬など最小限で格式の高い神社に対して素朴な印象を受けます。

馬場都々古別神社
馬場都々古別神社
場 所 ・福島県東白川郡棚倉町棚倉馬場
種 別 ・参道
備 考 馬場都々古別神社は上記の八槻都々古別神社と同様に景行天皇の御代に日本武尊が開創したと伝わる神社で、延喜式神名帳に名神大社として記載され、陸奥国一宮の格式を得たのは当社の事としています。元々は現在の棚倉城の城跡に境内を構えていた関係で、棚倉城が築かれた際に現在地に遷座され、歴代棚倉藩主から庇護を受けました。馬場都々古別神社の参道も前方に向かって縦長に敷く「短冊」5列形式ですが、随身門を境にしてやや右斜め配され、一直線を避けた社殿配置となっています。

宇迦神社
宇迦神社
場 所 ・福島県東白川郡棚倉町棚倉馬場
種 別 ・参道
備 考 宇迦神社は成務天皇の御代に白河国造である塩伊野己自直が倉稲魂命の御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。拝殿前の石畳みは前方に向かって縦長に敷く「短冊」6列形式で両サイドには縁石もありかなり整備された印象を受けます。参道石段の両側には複数の石燈籠が建立され、拝殿のある平場には複数の藩主が奉納した石燈籠がまとめられられており領主から篤く信仰されていた事が窺えます。

山本不動尊
山本不動尊
場 所 ・福島県東白川郡棚倉町北山本小檜沢
種 別 ・参道
備 考 山本不動尊は大同2年に弘法大師空海が鬼瓶山の悪鬼を鎮める為、護摩壇を設けて開創したと伝わる寺院です。その後、道隔阿闇梨此が草庵を設けて信仰を広げ、江戸時代には棚倉藩主の祈願所となり特に松平康爵の信仰は篤く帰依しています。駐車場から本堂までの参道は比較的長く、前方に向かって縦長に敷く「短冊」4列形式の石畳みで整備されています。途中の開運橋は風光明媚として知られる山本不動渓谷を渡る為、景観に優れた参道と言えます。

桙衝神社
桙衝神社
場 所 ・福島県須賀川市桙衝
種 別 ・参道
備 考 桙衝神社は景行天皇の御代に日本武尊が亀居山に鹿島神宮の祭神である武壅槌神の御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。延喜式神名帳に式内社として記載され、江戸時代には会津藩主や白河藩主が庇護しています。境内は亀居山の中腹に鎮座し麓の参道からは随身門で僅かに右斜めに角度を変えて拝殿に至ります。石畳みは前方に向かって縦長に敷く「短冊」5列形式ですが、石畳みより石段の方が印象に残る参道です。

神炊館神社
神炊館神社
場 所 ・福島県須賀川市諏訪町
種 別 ・参道
備 考 神炊館神社は成務天皇の御代に石背国の国造として当地に赴任した建美依米命が開創したと伝わる神社で、後に建美依米命の御霊が主祭神として祭られるようになっています。中世は領主である二階堂氏から崇敬され建美名方神が勧請合祀されています。参道の鳥居から拝殿までは一直線で前方に向かって縦長に敷く「短冊」5列形式の石畳みが整備されています。石畳みの両側には大型の石燈籠が重なり合い信仰の篤さが感じられます。

三春町
三春町
場 所 ・福島県田村郡三春町
種 別 ・城下町
備 考 三春町は永正元年に田村義顕が三春城を築いて以来、城下町として発展しました。江戸時代に入ると三春藩主となった秋田家が開発に尽力しています。現在も所々に城下町の雰囲気を感じる町並みが見られ、石畳みは景観修景の一環として整備されたようです。

歴史的みちすじ(歴道)
歴史的みちすじ(歴道)
場 所 ・福島県喜多方市寺町
種 別 ・在郷町
備 考 喜多方市は古くは在郷町として定期市が開催される等周辺地域の経済の中心として発展しました。明治13年の大火で多くの家屋を焼失すると、耐火、防火に一定の効果がある土蔵造の建物が好まれ次々と建てられました。現在も数千棟の土蔵が残り「喜多方市小田付重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。その中でも歴史的みちすじ(歴道)は、喜多方の環境にふさわしい路をつくり、住む人、訪れる人とが喜多方の歴史、素材にふれることのできる道空間として整備されたもので、石畳みもこの一環として敷かれたものと思われます。石畳みにはモザイク模様のような「乱張り」形式が採用されています。

新宮熊野神社
新宮熊野神社
場 所 ・福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野
種 別 ・参道
備 考 新宮熊野神社は永承6年に源頼義、義家父子が熊野権現に戦勝祈願を行い、前九年合戦平定後の天喜3年に熊野堂村に熊野権現の御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。応徳2年に源義家が熊野本宮社、那智熊野社、新宮熊野社を開創し、後に新宮熊野社の境内に他の二社が合祀されました。中世は領主である新宮氏、江戸時代には会津藩主蒲生氏、保科氏、松平家が庇護しています。境内は鳥居、長床、本殿が一直線に配され、参道には前方に向かって縦長に敷く「短冊」6列形式の石畳みが敷かれています。

竹屋観音
竹屋観音
場 所 ・福島県喜多方市塩川町中屋沢字台畑丙
種 別 ・参道
備 考 竹屋観音は天正元年に木翁快元和尚が開創したと伝わる寺院です。慶安4年に現在地に境内を遷し寺号を大雲山観音寺に改められています。特に安産や子育てに御利益あるとして信仰を広げ塩川三霊場の一つに数えられました。参道は古びれた雰囲気があり、石畳みは前方に向かって縦長に敷く「短冊」3列形式が敷かれています。石造寺号標から仁王門までは僅かに左にくの字の参道で観音堂前の石畳みは5列になっています。

蚕養国神社
蚕養国神社
場 所 ・福島県会津若松市蚕養町
種 別 ・参道
備 考 蚕養国神社は弘仁2年に開創したと伝わる神社です。8世紀には全国から女性養蚕技術者が入植している事から関係が深いと思われます。延喜式神名帳に式内社として記載され歴代領主からも篤く帰依されました。特に江戸時代に入ると会津藩主保科家、松平家が庇護し会津大鎮守六社に選定されています。石畳みは前方に向かって縦長に敷く「短冊」3列形式で、2之鳥居を境にやや左側にくの字に折れ曲がっています。

上宇内薬師堂
上宇内薬師堂
場 所 ・福島県河沼郡会津坂下町大字大上
種 別 ・参道
備 考 上宇内薬師会津五薬師の一尊とされる西の薬師で、古代寺院である高寺(石塔山恵隆寺)の支院の一つ調合坊の本尊だったとされます。高寺が廃寺になると調合坊が現在地に遷され正式な寺院となる調合寺として開創され引き続き上宇内薬師を本尊として奉斎しています。参道に敷かれた石畳みは前方に向かって縦長に敷く「短冊」3列形式で仁王門からはやや右側にくの字に折れ曲がって観音堂にいざなっています。

鳥追観音
鳥追観音
場 所 ・福島県耶麻郡西会津町野沢如法寺乙
種 別 ・参道
備 考 鳥追観音は天平8年に行基菩薩が巡錫で当地を訪れた際、優しくしてくれた農夫の為に鳥獣被害と子宝に御利益がある観音像を彫刻し授けたものとされ、それを本尊として大同2年に坂上田村麻呂が開基となり徳一大師が開創したと伝えられています。信仰が広がると会津三十三観音霊場番外別格総結願所に選定され、会津ころり三観音にも数えられました。石畳みは山門から観音堂まで一直線で敷かれています。

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