宮城県の郷愁を誘う石畳のある風景

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定義如来(西方寺)
定義如来(西方寺)
場 所 ・宮城県仙台市青葉区大倉字上下

種 別 ・参道
備 考 西方寺(定義如来)は平重盛が信仰した阿弥陀如来の宝軸を祭る寺院です。伝説によると重盛から阿弥陀如来の宝軸を授かった平貞能が当地に落ち延び、宝永3年に貞能の家臣の後裔を自称する早坂源兵衛が出家して定義如来を本尊とする極楽山西方寺を開創したと伝えられています。

松音寺
松音寺
場 所 ・宮城県仙台市若林区新寺4丁目
種 別 ・参道
備 考 松音寺は寛正年間に伊達持宗が開創したと伝わる寺院で、伊達成宗と伊達稙宗の菩提寺となっています。江戸時代初期に伊達政宗が仙台城を築くと城下町に寺地を与えられ境内を遷してます。伊達家所縁の寺院として庇護され寺領140石が安堵され仙台藩領曹洞宗四大寺に数えられました。参道の石畳みは複雑な敷き方で落ち葉とマッチしています。参道から山門までは一直線で、山門からは本堂まではやや右側に角度があり長方形の石を、前方に向かって縦長に敷く短冊3列形式の石畳み、左右には縁石が敷きこまれています。

大崎八幡宮
大崎八幡宮
場 所 ・宮城県仙台市青葉区八幡
種 別 ・参道
備 考 大崎八幡宮は坂上田村麻呂が蝦夷討伐の拠点として胆沢城を築いた際に鎮守社として宇佐八幡宮の御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。中世は奥州管領の大崎氏が庇護し、天正19年に伊達政宗が岩出山城に減封になった際に、日頃から信仰していた成島八幡神社の御霊を勧請合祀しました。江戸時代初期に政宗が仙台城を築くと、現在地に遷座しその後も仙台藩主伊達家が代々崇敬庇護しました。大崎八幡宮は被災しなかった事から歴史的建築物が多く、拝殿・本殿・石の間は国宝に指定されています。境内は広大で真直ぐ伸びる参道には三角形、四角形、台形型の石材を組み合わせた「乱張り」形式の石畳みが敷きこまれています。

輪王寺
輪王寺
場 所 ・宮城県仙台市青葉区北山1丁目
種 別 ・参道
備 考 輪王寺は嘉吉元年に、蘭庭明玉禅尼の願いを聞いた伊達持宗が太菴梵守和尚を招いて開創したと伝わる寺院です。当初は当時の伊達家の本城だった梁川城の城下町に境内を構えていましたが、伊達家が桑折西山城、米沢城、岩出山城と本拠地を移す度に、境内を遷し、慶長7年に伊達政宗が仙台城を築くと現在地に寺地が与えられています。その後は領内曹洞宗四大寺に数えられ仙台藩伊達家が篤く庇護しています。参道の石畳みは中央2列が前方に向かって縦長に敷く短冊型、その両側は目の細かな石材による乱張り、さらにその外側には縦と横をランダムに敷きこまれています。

秋保大滝不動尊
秋保大滝不動尊の参道の石畳みと鳥居の写真
場 所 ・宮城県仙台市太白区秋保町馬場字大滝
種 別 ・参道
備 考 秋保不動尊は平安時代初期に慈覚大師円仁が巡錫で訪れ秋保大滝を眺めたとき、余りにも景観が素晴らしかった事から比例なき霊地と悟り、本尊として不動明王を勧請し開創したと伝わる寺院です。現在の秋保不動堂(大滝不動堂)は文政8年に名僧として知られた知足上人が再建した建物で仙台市登録有形文化財に登録されています。東北三十六不動尊霊場第29番札所。参道は神仏習合の名残である鳥居を経て不動堂まで一直線で長方形の石を、前方に向かって縦長に敷く短冊5列形式の石畳が敷きこまれています。

仙台東照宮
仙台東照宮
仙台東照宮
場 所 ・宮城県仙台市青葉区東照宮
種 別 ・参道
備 考 仙台東照宮は承応3年に仙台藩2代藩主伊達忠宗が開創した神社です。仙台藩は大藩だった事から幕府から敵視される可能性が高く、徳川将軍家に忠誠心を示す為にも徳川家康を神君として崇める姿勢を見せる必要性があったと思われます。仙台藩は仙台東照宮の造営にあたり、全国から数多くの技術者や用材を集め日光東照宮を模した社殿を目指したとされます。その後は歴代伊達家当主から庇護され仙台東照宮の祭祀料として1000石(その内、仙岳院に500石)を別当寺院である仙岳院に寄進しています。本殿、唐門、透塀、隨身門、石鳥居は国指定重要文化財に指定されています。参道の石畳みは区間によって変化し、大鳥居から神橋までは小口の横長の石材を前段と後段で半分ずらして敷く「馬踏み」形式で、神橋から石段までは長方形の石材を、前方に向かって縦長に敷く「短冊」形式が採用されています。

高蔵寺(阿弥陀堂)
高蔵寺(阿弥陀堂)
場 所 ・宮城県角田市高倉字寺前
種 別 ・参道
備 考 高蔵寺は弘仁10年に徳一大師が開創したと伝わる寺院です。嵯峨天皇の勅願寺だったらしく嵯峨天皇の筆と伝わる「高蔵寺」の勅額を所有しているそうです。高蔵寺阿弥陀堂は治承元年に藤原秀衡の奥方等が大旦那となり造営した建物で、平泉中尊寺金色堂白水阿弥陀堂と共にに東北三大阿弥陀堂に数えられ国指定重要文化財に指定されています。高蔵寺阿弥陀堂の本尊である阿弥陀如来座像は平安時代末期頃に制作された仏像で、像高2.7m、総高5.14m、国指定重要文化財に指定されています。参道は苔むした歴史が感じられる雰囲気で、三角形、四角形、台形型の石材を組み合わせた「乱張り」形式の石畳みが敷きこまれています。

斗蔵神社
斗蔵神社
場 所 ・宮城県角田市小田字斗蔵
種 別 ・参道
備 考 斗蔵神社は景行天皇の御代に蝦夷討伐で当地まで進軍した日本武尊が開創したと伝わる神社です。境内を構える斗蔵山は古くからの霊山として信仰を集め源義家や北畠顕家、伊達政宗なども登拝したと伝えられています。大同2年には坂上田村麻呂が別当寺院である斗蔵寺が祭祀を司る観音堂が開創されています。参道は三角形、四角形、台形型の石材を組み合わせた「乱張り」形式の石畳みが敷きこまれ、鳥居から神社山門に向けては前方に向かって縦長に敷く「短冊」形式が採用されています。

旧七ヶ宿街道
旧七ヶ宿街道
場 所 ・宮城県刈田郡七ヶ宿町
種 別 ・街道
備 考 七ヶ宿街道は羽州街道の仙台藩領の区間の別称で、上戸沢宿、下戸沢宿、渡瀬宿、関宿、滑津宿、峠田宿、湯原宿の7つの宿場町があった事が名称の由来となっています。羽州街道は出羽諸侯の参勤交代の経路として利用した重要な街道で、主要な街道筋や宿場町はその後都市化しましたが、山間部では一部石畳が残されています。

圓通院
圓通院
場 所 ・宮城県宮城郡松島町松島町内
種 別 ・庭園
備 考 ・正保2年に伊達政宗の嫡孫である伊達光宗が死去すると、正保3年に霊廟である三慧殿が造営され、正保4年に瑞巌寺第100世洞水和尚が三慧殿を守護寺として圓通院を開創しました。三慧殿は国指定重要文化財に指定されています。北国八十八ヶ所霊場第7番札所。三陸三十三ヶ所観音霊場第1番札所。

竹駒神社
竹駒神社
竹駒神社
竹駒神社
竹駒神社
竹駒神社
場 所 ・宮城県岩沼市稲荷町一丁目
種 別 ・参道
備 考 竹駒神社は承和9年に小野篁が陸奥守に就任した際に陸奥国の開拓、殖産興隆を祈願する為に稲荷神を勧請し開創したと伝わる神社です。江戸時代に入ると仙台藩主伊達家から庇護され社領の寄進や社殿の造営が繰り返し行われています。参道は鳥居と随身門までは一直線で前方に向かって縦長に敷く「短冊」形式が採用されています。

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