岩手県の郷愁を誘う石畳のある風景 |
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報恩寺 |
場 所 | ・岩手県盛岡市名須川町 |
種 別 | ・参道 |
備 考 | ・報恩寺は応永元年に南部守行が祖霊の追善供養と参禅道場を設ける為に通山長徹を招いて開創したと伝わる寺院です。当初は南部家の旧本拠地である青森県三戸町に境内を構えていましたが、慶長6年に本城を三戸城から盛岡城に遷すと、報恩寺も城下町に寺地を与えられ現在地に境内を遷しています。以来、盛岡藩領内208カ寺の総領(僧録所)として寺運が隆盛し盛岡五山に数えられました。境内は山門、中門、本堂と一直線に配され、参道には石畳みが敷かれています。 |
榊山稲荷神社 |
場 所 | ・岩手県盛岡市北山2丁目 |
種 別 | ・参道 |
備 考 | ・榊山稲荷神社は慶長2年に南部信直が盛岡城を築いた際、城内に稲荷神を勧請し開創したと伝わる神社です。明治4年に盛岡藩が廃藩となり盛岡城が廃城になると外護者を失い衰微しましたが、明治30年に荒川清次郎氏が再興し現在地である方長老の屋敷跡に遷座しました。境内は神門と鳥居、神橋、拝殿が一直線で配され、参道には石畳みが整備されています。
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盛岡八幡宮 |
場 所 | ・岩手県盛岡市八幡町 |
種 別 | ・参道 |
備 考 | ・盛岡八幡宮は康平5年に源頼義が前九年合戦の戦勝祈願の為に石清水八幡宮の御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。当初は鳩森八幡宮と称し中世は河村氏の一族で当地を支配した日戸氏が庇護していましたが、江戸時代初期に南部家が盛岡城を築いて本拠地を遷した際に鎮守社に定め城内に再興しています。一方、延宝8年に南部家の氏神で盛岡藩総鎮守である櫛引八幡宮の御霊を鳩森八幡宮の御旅所である現在地に勧請し新八幡神社が開創しています。明治4年に盛岡藩が廃藩、盛岡城が廃城になると、御霊を新八幡神社に合祀しました。広い境内の中央を切り裂くような参道があり長方形の石を、前方に向かって縦長に敷く短冊5列形式の石畳みが整備されています。 |
大慈寺 |
場 所 | ・岩手県盛岡市大慈寺町5丁目 |
種 別 | ・参道 |
備 考 | ・大慈寺は寛文13年に徳真道空が開創したと伝わる寺院です。当初は草庵程度でしたが元禄14年に盛岡鷹匠小路付近から現在地に遷り境内を整備しています。盛岡藩の4代藩主南部行信の娘である光源院が黄檗宗を帰依し菩提寺となって事から南部家から篤く庇護を受けるようになっています。又、総理大臣の経験者である原敬の菩提寺でもあり墓碑が建立されています。本堂と山門は明治17年の火災以降に再建された事もあり、石畳みのデザインも当時の時代背景から正方形の石材を、斜め45度に回転させて1列に配しモダンな印象を与えています。
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鳥谷崎神社 |
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場 所 | ・岩手県花巻市城内 |
種 別 | ・境内・参道 |
備 考 | ・鳥谷崎神社が何時頃に開創されたのかは判りませんが、少なくとも鎌倉時代末期には既に奉斎されていた神社で、天文5年に領主である稗貫氏が居城である花巻城の城内にあった鳥谷崎神社、稲荷神社、八幡神社を一つにまとめ社号を鳥谷崎座三柱神社に改めています。その後も歴代花巻城の城主から崇敬庇護され明治時代末期に周辺の複数の神社と合祀して社号を鳥谷崎神社に改めています。鳥居前の境内は全面、鳥居から拝殿までの参道は長方形の石を、前方に向かって縦長に敷く短冊形式の石畳みが整備されています。 |
日高神社参道 |
場 所 | ・岩手県奥州市水沢区 |
種 別 | ・参道・武家町 |
備 考 | ・日高神社は弘仁元年に嵯峨天皇の勅命により開創されたと伝わる神社です。東北地方は古代、日高見国と呼ばれ、その神が祭られていたと思われますが、坂上田村麻呂が平和に暮らしていた蝦夷を蹂躙しただけでなく日高見国の神を祭る事すら許さず祭神を天之御中主神に差し替えたと思われます。その後は奥州藤原氏や、仙台藩主伊達家、水沢領主(要害)留守家などから崇敬庇護されています。鳥居に至る参道は水沢要害の武家町でもあった事から、現在でも参道には武家屋敷の遺構が点在し、修景計画の一環として中央部分が長方形の石を、前方に向かって縦長に敷く短冊形式、左右を四角い石材を前段と後段で半分ずらして敷く「馬踏み」形式の石畳みが整備されています。 |
蔵まちモール |
場 所 | ・岩手県奥州市江刺区 |
種 別 | ・在郷町 |
備 考 | ・江刺の地は古くから交通の要衝で、多くの街道が交差し軍事的にも重要視されてきました。長元年間には藤原経清が豊田城を本拠地として当地を支配し、後に奥州藤原氏の基礎となりました。中世は江刺氏が岩谷堂城を本城として江刺郡一帯を支配し、江戸時代には仙台藩伊達家一族の岩城宗規が岩谷堂要害に配され当地の行政軍事の中心的な役割を持ちました。現在でも中心地には複数の土蔵や伝統的な町屋建築が点在し、町並み整備の一環として左右を四角い石材を前段と後段で半分ずらして敷く「馬踏み」形式の石畳みが車道と歩道の色味を変え敷き詰められています。
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