群馬県の郷愁を誘う石畳のある風景 |
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三夜沢赤城神社 |
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場 所 | ・群馬県前橋市三夜沢町 |
種 別 | ・参道 |
備 考 | ・三夜沢赤城神社が何時頃開創されたのかは判りませんが、延喜式神名帳に名神大社として記載され、上野国二宮に格付けされたのは当社としています。少なくとも戦国時代には三夜沢赤城神社が赤城信仰の本社的な役割を持ち、上杉謙信や武田家、北条家、由良家などが帰依し篤く保護しています。天正18年に大胡藩が立藩すると藩主である牧野家、大胡藩が廃藩になると歴代前橋藩主から庇護を受けています。境内は洗練された印象を受け、参道は階段を境に僅かに右に方向を変えています。参道中央の石畳みは前方に向かって縦長に敷く「短冊」4列形式、その左右には玉石洗い出し仕上げ、端は縁石となっています。 |
二宮赤城神社 |
場 所 | ・群馬県前橋市二之宮町 |
種 別 | ・参道 |
備 考 | ・二宮赤城神社は上記の三夜沢赤城神社と同様に延喜式神名帳に名神大社として記載され、上野国二宮に格付けされたのは当社としています。中世までは当社の二宮赤城神社の方が赤城信仰の中心だった可能性があり、境内の周辺には祭神である豊城入彦命を祖神として崇めた上野国造上毛野氏が被葬者と推定される大室古墳群があります。境内は三夜沢赤城神社とは異なり、鳥居、神橋、随身門、拝殿が粗直線で結ばれています。参道は前方に向かって縦長に敷く「短冊」6列形式で、境内全域は貴重な事から前橋市指定史跡に指定されています。 |
総社神社 |
場 所 | ・群馬県前橋市元総社町1丁目 |
種 別 | ・参道 |
備 考 | ・総社神社は崇神天皇48年、豊城入彦命が経津主命の御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。境内近くには上野国府があった事から境内には上野国内の有力神社の御霊が勧請され国司が奉斎する総社だったとされます。朝廷が没落すると近隣六十九町村の総鎮守として歴代領主から庇護されます。参道は一之鳥居から二之鳥居、拝殿と粗一直線で配され、前方に向かって縦長に敷く「短冊」5列形式で整備されています。
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桐生天満宮 |
場 所 | ・群馬県桐生市天神町1丁目 |
種 別 | ・参道 |
備 考 | ・桐生天満宮は景行天皇の御代に上毛野国造御諸別王が天穂日命の御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。中世は領主である桐生氏が庇護、観応年間に桐生国綱が現在地に遷座し菅原道真の御霊を勧請合祀しています。地元の産業である織物と関係が深く、徳川家康から織物市の開催が許されています。参道は織物市(現在は骨董市)が開催し両側に出店が出せるように幅広で中心に前方に向かって縦長に敷く「短冊」6列形式の石畳みが設けられています。 |
榛名神社 |
場 所 | ・群馬県高崎市榛名山町 |
種 別 | ・参道 |
備 考 | ・榛名神社は用明天皇元年に開創されたと伝わる神社です。巖山遺跡からは9世紀に制作された土器や小金銅仏、寛平2年に製造された銭貨である寛平大宝などが見つかっている事から9世紀には既に信仰されていた事が窺えます。延喜式神名帳に式内社として記載されるなど格式も高く上野国十二社六ノ宮に格付けられていました。江戸時代後期には榛名信仰が広がり、江戸などで多くの榛名講が結成されると多数の信者が参拝に訪れ門前町も大いに賑わったとされます。参道は渓谷沿いに設けられている為に風致に富み季節毎に楽しむことが出来ます。 |
吾妻神社 |
場 所 | ・群馬県吾妻郡中之条町横尾 |
種 別 | ・参道 |
備 考 | ・吾妻神社は上古の時代に開創されたと伝わる神社です。弘治2年に領主である塩谷氏が御手洗山の山頂付近から遥拝所だった現在地に遷座しました。明治時代に仏教色を一掃し和利宮から吾妻神社に社号を改めています。参道は鳥居から随身門まで僅かに左カーブしているのが特徴的で、随身門から拝殿までは真直ぐ貫くような石畳みが配されています。
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金山城 |
場 所 | ・群馬県太田市金山町 |
種 別 | ・山城 |
備 考 | ・金山城は文明元年に岩松家純が築いたとされる群馬県を代表するような本格的な石垣を設けた山城です。戦国時代には下克上により家臣である横瀬泰繁と由良成繁が岩松家から実権を奪い取っています。天正2年には上杉謙信の侵攻を5度にわたり防ぎ切り名城として名を馳せました。天正12年以降は北条家の支配下に入りますが、天正18年の小田原の役で北条家が滅びると廃城となっています。本格的な石垣の城で主要の通路は石畳みが整備されていたようです。石畳みの形式はモザイク模様のような「乱張り」を採用しています。金山城の城跡は貴重な事から国指定史跡に指定され、日本100名城にも選定されています。 |
小幡 |
場 所 | ・群馬県甘楽郡甘楽町小幡 |
種 別 | ・城下町 |
備 考 | ・小幡は寛永19年に小幡藩2代藩主織田信昌が小幡陣屋を設けて以来、小幡藩の陣屋町として発展した町です。武家屋敷の遺構が残る一方で、雄川堰沿いには町人町の伝統的な町屋建築や土蔵が良好な町並みを形成しています。石畳は雄川堰沿いの修景計画の一環として整備されたと思われ、半分ずらして敷く「馬踏み」形式が採用されています。 |
館林 |
場 所 | ・群馬県館林市大手町 |
種 別 | ・武家屋敷・武家町 |
備 考 | ・館林は享禄4年に赤井照光が館林城を築いて以来、城下町として整備された町です。天正18年に榊原康政が入封すると館林城は本格的な近代城郭へと改変され城下町も拡張されています。現在でも武家町は当時の雰囲気が残され、修景計画の一環として石畳みが整備されています。デザイン的にはモダンですが色合いを落ち着いた色に統一する事で、武家町の良好な町並み景観に寄与しています。 |
伊香保温泉 |
場 所 | ・群馬県渋川市伊香保町 |
種 別 | ・温泉街 |
備 考 | ・伊香保温泉は戦国時代に武田勝頼が家臣である真田昌幸に命じて温泉地として整備した町です。源泉から効率よく湯屋に温泉を引き込む為、傾斜地に階段状に造成し独特な温泉街が形成されました。一般的には階段が有名ですが、路地には古くからの石畳みが残され郷愁を感じる事が出来ます。ただ、石畳みは重要視されていないようで何時か消えるかも知れません。
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