岐阜県の郷愁を誘う石畳のある風景

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馬籠宿
馬籠宿
場 所 ・岐阜県中津川市馬籠
種 別 ・宿場町
備 考 馬籠宿は慶長6年に中山道の宿場町として町割りされた町です。傾斜地に位置していた事から各戸は屋敷毎に平地を造成する必要性があり独特な町並みが形成されました。現在は観光地として整備され、石畳みは中央部分が半分ずらして敷く「馬踏み」形式、その両側はモザイク模様のような「乱張り」形式となっています。詳細は判りませんが、元々は乱張りの石畳みで中央部は観光客が歩き易くする為に新しく馬踏み形式で敷き直したような印象を受けます。

苗木城
苗木城
場 所 ・岐阜県中津川市苗木
種 別 ・山城
備 考 苗木城は天正年間に遠山直廉が築いたとも云われる山城で、自然の岩肌と人工物である石垣が巧みに配され、来る人々を魅了する城跡です。戦国時代には何度か苗木城を巡る攻防戦が繰り広げられ実践的な城郭でした。江戸時代には苗木藩の藩庁も置かれ明治維新を迎えています。現在の通路部分は石畳みが整備されている所とされていない所が使い分けられているようです。特に大手門前は格式を重んじて石畳みが整備されたのかも知れません。

落合の石畳
落合の石畳
場 所 ・岐阜県中津川市落合
種 別 ・街道(中山道)
備 考 落合石畳は馬籠宿から落合宿の間にある十石峠(十曲嶺)に整備された石畳みです。峠は当然起伏があり天候によっては通行困難になる為に石を敷き詰める事で利用者の便を図ったと思われます。現在、江戸時代に整備された石畳みは70.8m程残されていますが、何れも当時の交通遺跡として貴重な事から岐阜県指定史跡に指定されています。又、現存の石畳みを繋げるように約840m区間が復元されています。

船町港跡
船町港跡
場 所 ・岐阜県大垣市船町
種 別 ・川湊
備 考 大垣城は戦略上拠点であると同時に経済的な拠点でもあり、城下町には多く川が引き込まれ水の都でもありました。その為、それらの川を利用した舟運が発展し、城下には様々な川湊が整備され、そこで荷揚げや荷下ろしが行われました。現在でも船町港跡(住吉灯台)は当時の姿を良く留めており大垣市指定史跡に指定されています。又、松尾芭蕉の奥の細道むすびの地で、ここから船で故郷である伊賀、伊勢に向かった事から「おくのほそ道の風景地 大垣船町川湊」として国指定名勝に指定されています。石畳みには玉石風の石がモザイク模様のような「乱張り」形式で敷き詰められ風情が感じられます。

岩村城
岩村城
場 所 ・岐阜県恵那市岩村町城山
種 別 ・山城
備 考 岩村城は承久年間に加藤景廉が築いたとされる岐阜県を代表するような石垣の山城です。その後は景廉の後裔である遠山家の居城として拡張整備され、江戸時代には岩村藩の藩庁が麓に設置されました。現在でも中腹から山頂の本丸にかけて本格的な石垣が随所に残され威容を誇っています。通路の大部分の中央にはモザイク模様のような「乱張り」形式の石畳みが整備されています。岩村城の城跡は貴重な事から岐阜県指定史跡に指定され、日本100名城に選定されています。

日枝神社
日枝神社
場 所 ・岐阜県高山市城山
種 別 ・参道
備 考 日枝神社は永治元年に飛騨国司である平時輔が神からの御告げにより日吉大社から御霊を勧請し開創したと伝わる神社です。天正18年に金森長近が高山城を築くと金森家が近江出身だった事から篤く帰依し現在地に遷座しました。金森家が当地を離れると代官や郡代などが高山陣屋の鎮守社、陣屋町の南半分の氏神として信仰されています。日枝神社の参道は地方の神社としてはかなり長く、社殿とは粗平行方向に進み、二之鳥居の前で垂直に曲がります。石畳みは広い参道の中央部分だけ前方に向かって縦長に敷く「短冊」5列形式で、両側に縁石が配されています。

華厳寺
華厳寺
場 所 ・岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積
種 別 ・参道
備 考 華厳寺は延暦17年に陸奥国会津黒河郷富岡の出身の大口大領が開基となり霊木から京都の仏師が彫刻した十一面観音像を本尊として豊然上人が開山したと伝わる寺院です。その後は桓武天皇や醍醐天皇、朱雀天皇の祈願所として信仰を広げ寛和2年には花山法皇が西国三十三箇所霊場を満願所と定めました。南北朝の動乱で被害を受け衰微しましたが文明11年に後土御門天皇の勅命で薩摩国慈眼寺住職道破拾穀上人が再興しています。山門から本堂までの参道にはモザイク模様のような「乱張り」形式の石畳みが整備されています。

大正路地
大正路地
場 所 ・岐阜県恵那市明智町
種 別 ・陣屋町・在郷町
備 考 明智町は宝治元年に明智遠山氏が明智城を築いて以来、城下町として町割りされた町です。江戸時代に入ると明智城は廃城になりましたが、麓に明智陣屋を構えて引き続き当地を支配しました。明治時代以降は養蚕や製糸業などを主産業として発展し最盛期には20数社の製糸工場が建てられています。大正時代以降は衰微しましたが、当時の町並みが色濃く残されており「日本大正村」を掲げ観光資源として整備されています。大正路地は町並み景観の象徴的な存在で半分ずらして敷く「馬踏み」形式の石畳みが敷かれています。

やなか水のこみち
やなか水のこみち
場 所 ・阜県郡上市八幡町新町〜稲荷町
種 別 ・城下町
備 考 郡上八幡城は永禄2年に遠藤盛数が築いたのが始まりとされます。天正16年に稲葉貞通が配されると郡上八幡城の拡張、修復が行われると同時に城下町が町割りされ、以来、城下町として発展しました。特に水が豊富な町として知られ、城下町の至る所に水路が引き込まれ町並み景観にも大きく寄与しています。又、伝統的な町屋建築も数多く残されており郡上八幡北町伝統的建造物群保存地区に選定されています。

宗祇水の小路
宗祇水の小路
場 所 ・岐阜県郡上市八幡町本町
種 別 ・城下町・水場
備 考 宗祇水は豊富な清水が多い事でも知られる郡上市八幡町の中でも象徴的な存在で、名称は連歌の宗匠飯尾宗祇が室町時代に当地に住んでいた事に由来しています。江戸時代に入ると郡上藩主は飯尾宗祇旧跡の保護に勤め水場の整備を行っています。宗祇水は貴重な事から岐阜県指定史跡に指定され、環境庁が定めた日本名水百選に選定されています。宗祇水のアプローチには半分ずらして敷く「馬踏み」形式の石畳みが整備され、町並み景観とマッチした印象深い場所となっています。

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